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第七部 竹やぶ (1954年)
『原爆の図 第七部 竹やぶ』
原爆の図の画家、丸木位里の実家は原爆が落ちた所から2.5Km離れた三滝にあった。位里は実家げの道行で見るに堪えない大勢の負傷者を見ている。真っ裸で皮膚は火脹れてボロボロに焼け落ちた人。三滝の川には屍が材木のように浮かび、竹やぶの中には今にも死にそうな大勢の人が倒れ、呻き声や叫び声を上げていた。家族は無事だったが、実家は半壊しどこの人やらわからん人たちが入り込んでいっぱいになっていた。みんなで屍を戸外へ担ぎ出す。肉がドロドロに溶けている者。炭のように黒焦げになっている者。屍は異様な臭気を漂わせ蛆がわいていた。後から俊もやって来て救護活動をしている。弟や妹たちが「後から来て死んだりしたら大変だから早く帰ってくれ」と言われ、2人は一ヶ月後東京に帰る。広島滞在中からの下痢は3ヶ月続き、2人も被曝症状で床に伏せた。
『時代背景』
竹やぶは1954年完成。同年、ビキニ環礁で水爆実験が行われ第五福竜丸と船員は死の灰を浴び被曝。国民はこれに抗議し原水爆禁止署名活動を起こした。これに拍車をかけ、翌年原水爆禁止世界大会が開かれ、沈黙していた被爆者は怒りを声にした。
第一幕 風
1945 爆風
1954 水爆実験
2011 原発爆発
2014 放射能
第二幕 竹やぶ
昨日も今日も明日もまた
死んでゆく人が続きました
1945 蛆
1954 被爆者の怒り
2011 三度被曝
第三幕 海
満潮引潮に屍
海から空へ
魂の昇天 鎮魂
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