『原爆』ーほとんどの人の反応は、恐ろしい、怖いと避ける。
原爆の図シリーズを舞う時、一度たりとも怖がらせてやろう。脅かしてやろうと思ったことはない。しかし、私の舞は怖いと言う。
……それは私が怖いのではなく、事実が怖いのだ。どれほど悲痛で醜い表現をしたとて、あの日を目にした被爆者たちから見れば、「こんなものではなかった」と言うだろう。
忘れたくとも脳裏に焼きつき忘れられない記憶。あれは『地獄』だった。
丸木位里・俊夫妻は描かずにいられなかったに違いない。原爆の図を初めて見た人のほとんどは胸をつかれ、悲痛な叫びに辛くなるだろう。その絵が動いたとしたら……確かに恐ろしい。
私自身悲痛なシーンを舞うのを避けたくなる。しかし、私がその悲痛さを抱き舞うことがなければ原爆の図の真実に触れることはできないと思っている。
俊さんが事実は丸焦げの赤ん坊だったと知りながらも、あどけない赤ん坊として描いたのは、「しようのないほど、せっぱつまった思いなのです」と書き残している。
事実を描く=それは事実と向き合い、租借し、受け容れること。原爆の図を幾度も見ていると、おふたりの深い慈しみと平和への切なる願いを感じる。とても優しく温かいその
人柄を慕い、集う人も沢山いたようだ。お会いしたことはないけれども、だからこそ原爆の図を描けたのだと確信している。
4 地獄の中の姉妹
目も鼻も口も溶け
見分けのつかぬ悲惨な顔
垂れ下がる皮膚
赤剥けた肉体
丸焦げの赤ん坊を背負い狂い走る母
自らの姿と映す 地獄絵図
肉体の痛みが走り出す姉妹
5 命ー夢幻空花
泥沼に落ち 一年経って
また花咲く蓮華のように
人は生まれ 人は死ぬ
新たな命が生まれ そして死ぬ
亡者たちは 道となり
愚かしい 私たちを見守る
亡者たちは 光となり
愛おしい 私たちを見守っている
亡者たちは
虚空に浮かぶ大輪の蓮華となり
仏となり
1 爆心地ー消失した人々
消失した肉体のありかを探す魂
平和公園 土埃の中 風の中 川の中
あの閃光の後何が起こったのか 知らぬまま
2 今を見つめる亡者
立ち昇る煙に 海に川に 大気に
放射能
核兵器 原発 テロ 戦争
亡き被爆者たちは見つめている
3 廃人ー幽霊の行列
もぬけの殻の肉体が ただ歩く
何処へ行くともなく ただ歩く
群れ歩く 幽霊の行列
観客感想文
「原爆の悲惨さ、むごさを見事に演じられており感動しました」
「すばらしかったです!特にあの絵の前で踊られたのが、更に作品に深みを加えたように思います。見ていても、今まで聞いてきた話や絵や写真や遺品が思い出されて辛かったですが、それでも眼をそらさせない強さ(?といっていいのかしら)があったと思いました。」
「原爆投下の時空と現代の時空をつなぐ、舞さんの魂魄の化身。私は、その独舞のもたらした時間の回廊をめぐって、和泉舞さんの肉体ととも、また母の似姿とともに、原爆の図の中で、すなわち原子野の中をもがくように体をひきずっていました。」
「原爆の図」の前で、まさに62年前のその日の中に投げ出された舞さんの痛々しい心身そのものの動きを全身全霊で描いてくださいました。ありがとうございます。痛みを世界に開くには、等身大の痛みの追体験が必要だ、ということを和泉舞さんの独舞の試みが直截に示しています。ヒロシマ/ナガサキの体験者が共有することのできるある種のカタルシスの形を教えていただいたように思います。後で、母に報告したら、舞さんの原爆の図独舞を見に行ったことを、心から喜んでくれました。これは、最大の賛辞なのだと思います。」