top of page

​第二部 火 (1950年)

混沌(カオス)の時代は2012年まで続くと言われています

それまでは様々なことが溢れでて、さらに混沌の日々が続くことでしょう

そのような過程(プロセス)の中で私は現実を直視する

そして事実を伝えてゆくという役目を担っているようです

原爆の図は等身大の大きな作品です

彼らを観るのは怖い・見たくないという人とよく出会います

しかし、彼らのそのような姿で死を迎えることを望んでいたでしょうか

人間が人間の姿でなくなった

肉の塊となった姿で死を迎えた

彼らを観てください

忘れないでください

今の平和は彼ら(戦争を体験してきた人々)があり、私たちはその恩恵の上に立っているのです。怖いというのは 失礼ではないでしょうか

彼らに感謝と愛を

真摯に身をゆだね

舞いたいと思います

いま私を支えてくれる

ひとつの言葉があります

『苦しみが慈悲の心を育てる』

                              (ダライラマ法王)

​第一幕 鬼火ー粧蛾舞戯

第二幕 業火

 

第三幕 劫火ー炎舞

 

第四幕 死火

 

第五幕 鎮魂

​皮膚表面から深部へ

炎は這い回り

身体を包み焼き尽くす

「痛い 痛い……」

と繰り返す声が途絶え

「あー」っ尾を引く

悲痛な叫び声

 

頭の中には

学徒動員に行った子どもの姿

戦場へ行ったきりの夫の姿

何度も心で叫ぶ なまえ

意識薄れゆくなか

現在から過去へと

物凄い早さで

フィルムがさかのぼる

​身体は赤身をむき出しにされ

骨があらわになってくる

《観客感想文》

 

 

「表現力のすごさに感動しました。自己を表現するというか、何事にも捕らわれず、ただ一心に舞う姿に感動しました。痛みを超えた痛み・無念・すべてが紅蓮の炎に飲み込まれていく様。肉体は無残にも焼けただれ、残された意識「魂」が青き炎となり彷徨う様。指先の動き・顔の表情・からだの表情・内面から出る想いに圧倒されていました。また、集中力のすごさにも驚きもしました。25年前に、長崎の平和記念公園と原爆資料館に行った以来、原爆と言う事実を考え向き合う機会を頂き感謝しています。」

 

「和泉舞さんは凛とした長い手足を被曝した人々の思いに重ね合わせ、苦しみも悲しみもすべてを乗り越えた遠くを見るまなざしで、人知を超えた動物のような濃密で堅牢な存在感を見事に現出させた。勝楽寺の本堂の扉に映る影がもうひとつの別の踊りを舞う。グレーゴル・ザムザの甲虫のような動き、それが影絵の中ではエレファントマンのマスクを被った顔の輪郭をなぞり出す。まるで石に染められたヒバクシャの俤(おもかげ)のように。ピシッピシッと不気味な火の爆ぜる音がして、アルミの敷物が炎へと変わる。身をよじる苦痛と呆然たる思いと、一瞬の炎に飲み込まれる様を、和泉舞は銀の火を身体に巻きつけることで表現する。が、その古典的な容姿には慈悲から生まれた菩薩の貌が浮かび、祈りの仏像として屹立する。」生きながら死んでいった人々への魂の鎮魂歌として。

 

「下に敷いた銀の敷物は、和泉さんが動かないときほど特にぱちぱちと火の煙る音に似ておりました。最後にはそれ自体が炎になってしまったことにも驚きました。線香のいい香りがしていて、消した和ロウソクの匂いも、原爆とは対照的に穏やかで泣きたくなりました。舞踏の真摯さとともに、そこに救いがあるようだったもので……。今日の灯されていた火も、あの日の広島で燃えた火も。私は「消えた八月」という曲を、今夜はっと思い出しました。」

 

「筆舌に尽くせぬ苦しみを表している舞台であるのに、苦しみが凝縮されて、既に此の世のものと思えぬ何かに、転化し、立ち昇って行くように感じました。ですから、後半の鎮魂に至ると、ほっとはするのですが、私の中では、和泉さんの舞踏によって、すでに昇華してしまった。「何」かが、我々を高みから見ていてくれているような、そんな気持ちでした。「何」かは、魂かもしれないし、それは個々の魂と呼ぶものではないかもしれないです。それを一言ではいえないのですが。」

bottom of page